団長日記

『うどラヂ』1000回記念イベント、無事終了。

 怒涛の週末が終了して、軽い“腑抜け”状態である。最近いちいちよく調べるが、「腑抜け」を調べたら「はらわたを抜き取られた状態」が語源で、そこから「気力がない」とか「しっかりしていない」とか「意気地(いくじ)がない」とかいう状態を表す言葉だという説明はたくさん出てくるのに、肝心の大元の「はらわたを抜き取られた状態」というのがよくわからない。「はらわたを抜き取られた人」といえばミイラぐらいしか思い浮かばないが、ミイラの「うわー、はらわたを抜き取られたらこんな状態になるのか-」みたいな証言を聞いたことがないので、あれは事実を元にした表現ではなく、イメージから始まってイメージに展開した言葉ではないかと思うが、そんなことはどうでもいい話である。

 先週の土曜日、夜の7時から『うどラヂ』の“年末進行”の3本録りで9時半頃終了し、休む間もなく翌日曜日の朝の10時から、FM香川のロビーで『うどラヂ』1000回記念の公開録音イベントを開催した。ディレクターの鍛冶君から渡されたタイムスケジュールは、第一部が年末の『うどラヂ』1時間特番の収録で、第二部が「うどラヂ王決定戦」と題したクイズ大会。それぞれ約1時間ずつで、昼の12時に終了するという計画であったが、それを見た鍛冶君を除く全員が、「出来るかい!」って(笑)。

 まず、いつも15分番組の収録に30分ぐらいしゃべってるのに、1時間特番の収録が1時間で終わるわけがない。次に、第二部の「うどラヂ王決定戦」は初級、中級、上級、変態級の4段階で各10問ずつ、計40問を用意しているので、1問1分でも40分、間にいろいろ口を挟んで脱線すると、こっちもとても1時間で終わるはずがない。しかし、「ではどうするか?」という代案を考える間もなく、いや考えるつもりもなく(笑)、「時間内に収まるかどうか」という大問題を抱えたまま、イベント当日を迎えたのであった。

 当日、朝9時にごんとH谷川君と谷本姉さんと私と鍛冶君がFM香川のいつもの裏口に集合。客席に隣接する控え室に入って「打ち合わせ」と称した雑談をしていたら、9時半になって「客入れ」が始まった。入ってくるリスナーたちに鍛冶君がいろいろ案内をしていたが、控え室に途切れ途切れに聞こえてくる“前説”で鍛冶君が「…という予定ですが、麺通団なので予定の1.5倍ぐらい延びるかもしれません」と言ったら、会場から笑いが起きた。その瞬間、私の中で小さな“つかえ”がスッと下りた。

田尾「よし、延びても許してくれるぞ」
ごん「おっさんおっさん!」

 などと言っているうちに10時になって、イベントが始まった。

 えー、まずは今さらながらの自己紹介とオープニングトーク「しゃっくりと孫」で、30分近く行きました(笑)。そこでステージ袖の鍛冶君から「ええかげんに本編(特番収録)に入ってください」という催促が来て、麺通団員の「1000回回顧・私の事件簿」に入って、これがまた脱線続きでついに「団長の事件簿」をカットするハメになって、最後に大急ぎで『インタレスト』最終号の「強者42人が白状した『私の好きなうどん店』アンケート結果発表」の解説をやって、予定通り「計画の1.5倍」ぐらいかかって11時半だったか12時頃だったかに第一部が終了。休憩を挟んで、「うどラヂ王決定戦」に突入した。

 クイズの正式タイトルは、おそらく誰も聞いたことのない、「うどん」の「U」をあしらった「うどラヂ王決定戦・Uさま!」である。

ごん「明らかに聞いたことありますね」

 40問はすべて三択問題。しかし、「うどラヂ王決定戦」なので『うどラヂ』を聞き込んでいないとわからない問題ばかりで、

(Q)『うどラヂ』が始まった理由は?
・映画『UDON』のPR番組
・麺通団の持ち込み企画
・ごんと中井さんの陰謀

(Q)『うどラヂ』の収録スタジオで団長の向かいに座っているのは誰?
・ごん 
・H谷川君 
・谷本姉さん

(Q)『うどラヂ』で、鍛冶君、K米君の前の敏腕女性ディレクターの愛称はどれ?
・ラッシー 
・カッシー 
・ネッシー

…等々といった基本問題から(何の基本だ・笑)、

(Q)ごんさんが団長のお誘いを断る時によく使う言い訳は何?
・マンションのドアが開かなくなった
・マンションの水道管が破裂した
・マンションの管理人が失踪した

(Q)H谷川君が綾南町の「赤坂」でお金を払おうとしたら、女将さんに何と言われた?
・「300円、牛乳の箱」
・「300円、チーズのフタ」
・「300円、納豆のカラ」

(Q)「八十八庵」の大将がCM出演した健康食品は何?
・にんにく卵黄 
・すっぽん黒酢 
・皇潤 

(Q)ごんさんが提唱した、白身嫌いの人に向けた「黄身だけの釜玉」のネーミングは何?
・きみだけを
・きみに夢中
・きみひとすじ

(Q)団長がリモート出演した「BSよしもと」の番組名は何?
・御堂筋ジャーナル
・入浴タイムス
・わしんとこポスト

…等々のエピソード問題まで、一般人が見れば「どうかしてる」としか思えないような40問であったが、何と初級10問は100人近くが通過(!)。中級10問も50人ぐらいが通過し、「これは決着が付かないか」と心配していたら、上級問題に入ったら順調に正解者が減っていって29問目で決着が付き、おまけで再び全員参加で変態級問題をやって終わった。

 変態級問題の7、8問目はH谷川君のジェスチャー問題(テボさばきと玉取りのジェスチャーによる店名当て)、そして最後の9、10問目は筆記問題で、

(Q)団長が「『前場』のおでんに付けるとすれば?」で考えた珠玉のキャッチコピーを書いてください。
(A)「おまえはもう、しゅんでいる」

(Q)団長が「『はりや』のポスターに付けるとすれば?」で考えた珠玉のキャッチコピーを書いてください。
(A)「見ざる言わざる、イカざる。」

 というなかなかの名問題で締めたのであった(笑)。終了時間は午後1時過ぎ。2時間の予定が3時間少々という、「そもそも無理な時間計画の中で我々にしてはよく頑張って縮めた」と誰も言ってくれないので私が言ってみるが、「お前が言うな」というツッコミが今、私から上がった。

 なお、準優勝賞品は私が「はりや」からもらってきた「かつて店で使っていた初代だったか二代目だったかの湯飲み2個」、優勝賞品は私が「はりや」からもらってきた「オープン当初に店の壁に掲げられていた『350円』と書かれた立派なメニュー板」というマニア垂涎のお宝であったが、メニュー板は優勝者が「これは準優勝者が持つにふさわしい」ということで感動的な交換が行われた結果、準優勝した名物リスナーの奈良県の「チクカツ」さんがやっているうどん店「ぶれーど・う」の店内に掲示されることになりました。奈良に行く機会がある方は、ぜひ「ぶれーど・う」に行って拝んできてください(笑)。

 ちなみに、全40問の中で最も素敵な問題は、これ。

(Q)「宮川」で若い女性客のメガネが湯気で曇ったのを見た大将が言ったセリフの( )の中は何?


「前が見えんやろ。そういう時は( )をしたらいかんよ」

・注文
・テボ
・恋

 もちろん、正解は「恋」。讃岐うどんの歴史に残る、「宮川」の大将の名言でした(笑)。参加いただいた多くの皆さん、どうもありがとうございました。

『インタレスト』、大団円。

 1カ月ぐらい前だったか、『インタレスト』最終号の編集作業が最終局面に入りかけた頃、編集長の坂東から「空いてる日を教えてください」という怪しいオファーがあった。怪しい要件に対しては「空いているけど、内容によっては空いてない」と答えるのが私のモットーであるが(今、「モットー」を調べたら「行動指針として大切にしていること」というちゃんとした英語であった)、内容を聞いたら「『インタレスト』が最終号を終えたので、首脳陣らで打ち上げみたいなのをしたい」とのこと。私は訳あって夜に一人で飲み食いに出ることはほとんどなく、特に学生からのオファーは若いもんの中におっさん一人が入っていくのがトテモ恥ずかしいのでまず乗っていかないのであるが、まあ最終号で頑張った連中だし、来年度からは学生指導も辞めてフェードアウト局面に入るので、とりあえず、言われるままに「12月6日の晩」を空けておいたのである。

 ところが、そんな数週間前のある日、インタレスト編集室のたくさん並んでいるmacの中の大きいmac、通称「デカmac」よりさらに大きい「ビッグmac」を開けてメールをチェックしていたら、「12月6日の詳細を教えてください」とかいうメールが目に入った。差出人を見ると、ちょっと覚えのない名前…待てよ、何年か前に副編集長をやってたやつじゃないか? どういうことだ。40号の首脳陣7~8人ぐらいで打ち上げするんじゃないのか?

 という小さな疑問を一瞬抱えて、しかしすぐに忘れて12月6日当日になった。昼過ぎに大学で、いつも『インタレスト』の配本の一部を頼んでいるH谷川君に来てもらって最終号の受け渡しをしていたら、向こうから見覚えのあるやつが一人駆け寄ってきた。えーと、あ、2年前に卒業した36号の副編の岡田じゃないか。

田尾「おー、今日は何しに大学に来たんや」
岡田「夕方6時から演劇の公演があるんで。すみません、だから今日、打ち上げに行けないんです」
田尾「え? 何で今晩打ち上げするん知っとんや」
岡田「いや、案内が来たんで」

 こらー、坂東! どこまで案内出しとんや! 

 ここで私は確信した。今晩の打ち上げ、40号の首脳陣だけでないぞ。あいつらが知っとるOBも何人か呼んどるみたいやぞ。

 そうこうしているうちに夕方になって、私は大学から一旦家に帰って、「18:15に高松市丸亀町の○○(会場の飲食店)前に集合」という案内がメールで金曜日に来てたので(前日かい!)、健康のために歩いて行こうと思って17:40頃に家を出て、30分近く歩いて商店街に入ったら、そこへ電話がかかってきた。着信を見ると、『インタレスト』の創刊号編集長の星野尾からだ。星野尾は卒業してもう20年近くになるが、それなりにビジネスをやっていて、これまで相談事や何かで何度か会ったことがある。また何か話があるんか? けど今日は打ち上げやから時間が取れんぞ…と思いながら電話に出たら…

星野尾「あ、田尾先生、もうどのあたりまで来られてます?」
田尾「どのあたりまでって、どういうことや」
星野尾「いや、もうみんな集まってるんで」
田尾「誰が集まっとんや!」

 会場の飲食店に入ると、人が沸いていた。創刊号編集長の星野尾、2号編集長の池田源成、3号編集長の小野、4号編集長の濱谷、6号編集長の中西、14号・15号副編集長の武政、18号編集長の西畑、23号編集長の谷、24号編集長の笠井、副編の溝淵、25号編集長の馬渕、26号編集長の岩瀬、副編の吉馴、特集リーダーの三原とヒラのペレ、29号編集長の藤川、副編の平田、33号副編の岩倉、35号編集長の島、36号編集長の豊嶋、37号編集長の安藝、ヒラの安光、38号編集長の佐野、39号編集長の亀井、副編の亀井と平松、特集リーダーの小笠原、そして40号編集長の坂東と副編の滝口、宮地、池川…

何じゃこりゃー!

*****

 安藝はこの日、この日のために高知から出てきたらしい。「ダム特集」の「ガールズ・ダム診断」で爪痕を残した平田は、この日のために大阪から来たらしい。あと、ここに名前を書き落としたメンバーもいるかもしれないが、まあ何というか、40号首脳陣の打ち上げかと思っていたら、坂東たちが知らない先輩たちにも声を掛けて「インタレスト同窓会」の様相になっていた。

 というわけで、県外にいて来られなかったOBや連絡が取れないOBもいたらしいが、みんなそれなりに社会人になって何よりである。プレゼントをもらったりサインをいっぱい書いたりしたが(笑)、何とも『インタレスト』20年の、とてもいいサプライズの締めくくりになった。みんなありがとうね。まだまだ先は長いけど、今日のところは「誠実に、クリエイティブにやってたらたいていのことはどないかなるから、それなりに頑張れよ」と締めとくわ。

短くなったのは「秋」ではなくて「冬」?!

 『インタレスト』の最終号の納品をほぼ終え、12月から四国学院大学の冬学期が始まった。年明けて2月中旬に冬学期が終わると、来年の4月からは大学のいろんな業務からも開放され、授業数も一気に減らして、人生の第4局面の「穏やかな老後へのフェイドアウト」に入る(笑)。

(第1局面)最初の約22年間……社会に出る前の浅はかな時代。
(第2局面)次の約25年間………広告代理店4年とタウン情報誌21年の“業界”っぽい時代。
(第3局面)次の約22年間………大学教員の時代。
(第4局面)そこから死ぬまで…穏やかな老後へのフェイドアウト時代。

という感じである。といっても、別に若い時から人生設計をしていたわけではなく、それぞれの局面でそれなりに一生懸命、それなりに誠実に、クリエイティブにやっていたら、20数年ごとに勝手に転機がやってきて、結果的にこうなったという感じである。家も建てられず、大した財産もないままであるが、伴侶にも恵まれ(ここ強調・笑)、「ここまで、まあおもっしょかったなあ」ということでよしとしておく。

 というわけで、『超麺通団5』のどこかに「年内にもう一冊」と書いているらしいが「何年の年内か」は書いていない『超麺通団6』(笑)について、構想を練るのに苦悩しながら手遊びをしていたら、「流行語大賞」のトップ10に「二季」というのが入っているのが目に入った。調べたら、というか調べるまでもなく聞いたことがあるのだが、「春と秋が短くなって、もう夏と冬の2つの季節しかないみたいだ」とかいう状況を表した言葉だそうで、実際私も最近、身近な人から「秋が短くなって…」という話を何度も聞いた。

 ただ、私はそれに対して、ちょっと違う印象を持っている。すなわち、昔なら「秋晴れ」の10月になってもまだ「夏かよ」というぐらい夏が“押して”きているのはわかるけど、「そのせいで秋が短くなっている」という話は、後ろの「冬」がそのままであることが前提になる。しかし、12月になってもまだあまり寒くないということは、冬も後ろに行っているのではないか? ということは、秋は後ろにずれているだけで、実は「冬が短くなっている」だけではないのか? という疑いを持っているのである。

 疑問は調べてみなくてはなりません。そこで油断モードを利用して、気象庁のデータから、

(1)1974年と1975年のそれぞれ10月~翌年4月の毎日の平均気温。
(2)2023年と2024年のそれぞれ10月~翌年4月の毎日の平均気温。

を全部引っ張り出して、5度刻みで日数を数えて50年前と比較してみたら、以下のようになっていた。

(平均気温)  (10月~4月の日数)
4.9度以下  ……(74/75年)  98日 →(23/24年)  30日 =(増減)- 68日
5.0~9.9度 ……(74/75年)151日 →(23/24年)152日 =(増減)+   1日
10.0~14.9度…(74/75年)  95日 →(23/24年)106日 =(増減)+ 11日
15.0~19.9度…(74/75年)  70日 →(23/24年)  89日 =(増減)+ 19日
20.0~24.9度…(74/75年)  10日 →(23/24年)  40日 =(増減)+ 30日
25.0度以上……(74/75年)    0日 →(23/24年)  7日 =(増減)+ 7日

 やっぱりそうだ。減っているのは「平均気温4.9度以下」のとても寒い日だけで、その他は全部増えている。温暖化が年間を通じてベースアップしていると、当然こうなるはずである。

 そこで、これに仮に無理やり季節を当てはめてみると、例えば、「平均気温9.9度未満」を「冬」とすると、合わせて「ー67日」だから「冬がおよそ2ヵ月分減っている」ということになる。そして、「平均気温10.0度~19.9度」を「秋または春」とすると、「秋と春」は合わせて30日も増えていることになる(ちなみに、その日の最高気温は平均気温よりだいたい4~5度くらい高い)。

 まあ、平均気温何度から何度までを「冬」や「秋、春」とするかは正解があるものではないが、とにかく「平均気温10.0度~19.9度」の日数は50年前より30日も増えていて、平均気温だけで言えば「二季」という状況にはなっていないのである。従って、

●「二季」というのは、おそらく誰かがファクトベースではなく情緒で「うまいこと言うた」みたいなワードを、メディアがファクトベースではなく情緒で持ち上げて、ユーザーがファクトベースではなく情緒でもてはやした…という類のものではないか? 
●もちろん「季節は気温ではなくて“情緒だ”」と言われればこんな気温データは意味がなくなるが、何だか夏が暑すぎるもんだから、我々は「秋」の感覚が実際の気温とずれてきているのではないか? 

というのが私の印象である。まあどうでもいい話ではあるが、そういうわけで、とりあえずデータ屋の私は「秋が短くなってきましたねえ」ではなく、「冬が短くなってきましたねえ」と言うことにしようと思う(笑)。